2023/05/02 12:30



https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1468565225616347141?s=46&t=Mz33qxckp16CxCxT6wLF7g


本書で写真家・特殊モデルの七菜乃さんのロングインタビューをさせて頂きました。代表的な大人数ヌード写真作品から、ご自身のモデル活動を通して見えてくる意味化されない身体について、べき論では語ることができない美意識についてを存分に語って頂きました。

心なんか分からない、だからこそ他人も自分自身に対しても、外側にある身体(目に見えている部分)を大切に扱うこと。そしてそこに美意識が宿るということ… 自分をまるっとそのまま差し出すモデルさんと、それを受け止める七菜乃さんの美しさがそこにあります。

七菜乃さんは「ヌードは着衣のひとつ」と語ります。同時に「富士山だと思って女体を撮っている」とも。それらがどう結びつくのか、このインタビューで伝わるものがあると思います。新しく開かれた価値観にぜひ触れてみてほしいです。

《大槻香奈》



https://twitter.com/bmyasu/status/1489909476132286466?s=46&t=Mz33qxckp16CxCxT6wLF7g

本日の「日本現代うつわ論1」全編レビュー。

七菜乃さんへの大槻香奈さんによるロングインタビューです。

ここでも前記事のNaganeo/さんに続き”うつわ”としての身体に焦点を当てた対話が繰り広げられます。


近未来さんレビューの際にも触れましたが、このうつわ本における「インタビュー」はどちらかと言えば「対話」に近く、お互いにそれぞれの作品を持つ意味性を再発見していく過程でもあります。

私たち読者はその発見に立ち会うような意識で読むこととなります。


”富士山のようにヌードを捉える”と仰る七菜乃さんとそこに”うつわ”という概念をあてがう大槻さんの言葉が交換された時に、お二人の創作におけるコンセプトを私たちはより明確な形で理解する手がかりを得ます。

“うつわ”として認識するための視線を知るのです。


“富士山のように捉える”ことで社会的な役割やエロスといった記号性から切り離された被写体としての身体は、七菜乃さんの眼差しによって存在そのものとしての美しさを浮かび上がらせます。

「在るが儘」といった姿に向かう眼差しを私たちは目撃します。


意味性を剥ぎ取られた空虚なうつわであるからこそ、そこにあるべき”中身”を想起させられます。

しかし、ここで思い浮かべた”中身”はいったい誰のものでしょうか?

被写体のもの、七菜乃さんのもの、あるいは鑑賞者である我々の見たいものであるかもしれません。


このように対象と自己を交換可能なもの、同一のものとして鑑賞可能とする表現は非常に禅的であり、あるいは広くアジア的な思考であると私は捉えます。

この本においては”うつわ”的であると述べるべきものでしょう。


余談ですが。自然光への拘りを読んで思い出したのは、かつて骨董陶磁の見方を教わった際に「モノの姿を見るには朝の光だ、色の深みを見るには和蝋燭の光だ」と言われたことです。

自然な形を浮かび上がらせるのはやはり自然光、ということで。


まだまだ語りたいことは山ほどあるのですが今日はこのくらいにしておきます。

示唆に富んだ素晴らしい記事です。

ぜひ七菜乃さんの作品と共にお楽しみください。

《青山泰文》