2023/04/24 11:39



https://twitter.com/kanaohtsuki/status/1465273930084614147?s=46&t=YPl5VVUI1DLtH-WgcAlrow

「#日本現代うつわ論 1」に詩を書き下ろして下さった文月悠光さん。個人的な話ですが、以前から私にとって文月さんの詩は、流すことのできなかった泪で身体がゆっくり満たされていくようで、それがどのような着地点であっても、最後には透明の器を抱えるような感触がありました。

この感覚は本当に不思議です。自分がよく知るはずの言葉でも、文月さんの手によって言葉がうつわの縁をなぞって一周して手元に戻ってきた時には、瑞々しい光を伴って心に届きます。本の製作にあたり、文月さんには今描きたい詩をお願いしたいと思いました。

この度書き下ろして頂いた詩「私の肩が濡れるとき」は、読み返すたびに少しずつ違った感触になっていくようで、ちょうど文月さんがこの作品を書かれていた頃に描いていた自分の絵画作品とも勝手にシンクロしたような気持ちになって(それがどの作品とは言いませんが)個人的にとても嬉しく思いました。

文月悠光さんの作品にご興味のある方は、ぜひ何度でも、ゆっくりと読んで頂けたらいいなと心より願っています。

《大槻香奈》



https://twitter.com/bmyasu/status/1486315613542748163?s=46&t=Mz33qxckp16CxCxT6wLF7g

『日本現代うつわ論1』全編レビュー二日目は文月悠光さん『私の肩が濡れるとき』。

なんとこちらの作品は書き下ろして頂いております。

ありがとうございます。


声に出して読んでみると、言葉そのもののリズムとその言葉に導かれて喚起されるイメージが、絶妙なグルーヴ感で絡み合う心地よさを覚えます。

そのイメージの切り替わり方が鮮烈で、言葉に手を引かれるうちにトンネルを抜けて違う景色に出会うような感覚です。

「うつわ」が「ウツハ」である事は私の論考で触れていますが、同様に「言葉」は「コトノハ」です。「言葉」そのものがうつわ的な性質を持つツールであり、そしてこの作品では特にその「ハ」への接近を感じます。

「言葉」の「ハ」の部分、意味性が拡張/切り替えられるポイントを見据えながら「私」が次々に出会う物事を描き、同時に「私」そのものも異なる位相へと切り替わる。言葉そのものは短くとも、その言葉の質量や変化の情報量は莫大です。


どうやっても私程度の語彙力では語るに落ちるが関の山です。

どうかみなさんお手に取って頂きたく思います。

そして声に出して、「私」の視線に重なってみましょう。

あなたも同時に「ハ」を越境できるかもしれません。

《青山泰文》