2022/11/23 11:51



こんにちは、ゆめしか出版です!
突然の東京文フリ欠席にもかかわらず、『日本現代うつわ論2』に沢山のご予約を頂き大変嬉しく思っております。
お手元に届いた皆様にお楽しみ頂けることを心から祈っております。

さて、今回は本書においてディレクションを担当した大槻香奈による巻頭言を掲載いたします。
どんな思い・祈りを込めてうつわ本2が出来上がっていったのか。ゆめしか出版チームの制作への想いを感じて頂けたら幸いです。



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はじめに


『日本現代うつわ論2』をお届けいたします。2021年の『日本現代うつわ論1』発刊から約1年、日本の精神の土台を探る為に物事を「うつわ」的に捉える試みを始めてから、その研究が1冊の本になるまで、今年もゆめしか出版チームで駆け抜けました。言葉にし難い日本的な感覚は「うつわ」というワードを通して語ることが可能かもしれない…本書はそんな問いから始まりました。その目的は河合隼雄氏が『中空構造日本の深層』(中公文庫)にて提唱した日本の「中空構造」に対しての「実践編」を考えていくことにあります。つまり、日本の空っぽな構造を「うつわ」として見立て、空虚を自分の手で掴んで扱ってみるところから未来を始めようという考えです。

今回は、企画担当は青山泰文、ナツメミオが前巻に続きデザインを担当し、大槻香奈(私)はディレクションの立場で参加しております。

私のこれまでの活動や考えについては『日本現代うつわ論1』をお読み頂きたいところですが、
この巻頭言では少し力を抜いて個人的なことを書かせて頂こうと思います。

私が今回、本書の製作に関わるうえで大事にしたかったのは「祈り」でした。

かつての私は、自分の欲望を自覚して、そのために何かを実践してさえいれば未来が作れると思い込んでいました。味気なく言ってしまえば、努力・根性・勝利のようなサイクルをどう構築するかということを考えていたのです。でも生きるのに欲望だけを抱えていては心が折れてしまいます。何故なら現実には叶わないことが多いからです。そうした時に、欲望の奥に潜む「祈り」は何だろう? と考えるようになりました。

そしてその祈りのためにこそ芸術をやりたいと思うようになりました。いや、そもそも私は最初から「祈り」のために絵を描くことが必要で、でもそれが胸の内にあったことを自覚していなかったのです。その気付き以降、いつでも何か行動を起こしたいと思う時には、その動機となる祈りが存在している筈と考えるようになりました。

しかし考えたとて「祈り」はそう簡単に掴めるようなものではありません。もっと潜在的で、ゆえに私達の生きることの本質です。心の芯の掴み辛い中空構造の日本に暮らしてきた私達にとって、祈りを探ってみることは未来への希望を見出すヒントのひとつになるのではないかと考えました。
今年はロシアのウクライナ軍事侵攻があり、コロナも引き続き警戒が必要で、そんな時代の状況下での「祈り」は多くの人にとって分かりやすく、そうせざるを得ないものとして実感があったことと思います。

しかし日常的な日本社会をざっくり見渡してみれば、そこに「祈り」を見つけるのは困難に感じます。うっすらと未来の不安を抱えながらもなんとなく生存できてしまうこの場所には、大きな物語も強力な宗教もありません。中心のない日本で「祈り」が分からなくなってしまうことは、精神にとって危ういことのように思いました。

例えば、心を病んでしまうほど「推し活」をしてしまう人達の祈りは何なのか? と私は時々考えます。2021年流行語大賞でノミネートされた「推し活」は、自身のお気に入りのアイドルやキャラクターを応援するというポジティブな行為としてある一方で、一部「病むほどに推すのが尊い」という価値観も存在するようでした。(主に推しのホストに貢ぐ方達の間で)

推し活はお金を介した一方的な好意であること、また推される側は金額に応じてサービスを提供しているに過ぎないことから、その関係性に本質的なコミュニケーションが存在する訳ではありません。けれども生きる意味をそこに求めてしまう人達がいます。人が生きている現象そのものに意味はないけれど、人が生きていくためには自分にとっての意味が必要なのです。人生を疑似的で恣意的な意味に回収されてしまわないためにはどうすれば良いのか、度々立ち止まっては考えていました。

生きるためにはどこかで祈りの連鎖を作ること、すなわち人と人との密接な関わり、本質的なコミュニケーションを成立させることが本当の意味で必要と思います。しかし、それはいかにして得られるのでしょうか。

私はそういった自己と他者の歩み寄りの過程に「うつわ」論が存在すると考えています。お互いの「うつわ」を知ることは、お互いの「祈り」を知ることにもきっと繋がると考えるからです。私は社会の中で、そういったところからコミュニケーションの在り方を探りたいのだと思います。


本書では音楽や美術、華道や陶芸、研究など様々なジャンルで活動されている方々にお話を伺いました。「うつわ」というワードを通してそれぞれ皆様のご活動や作品について、あるいは身近な日常について語って頂きました。そして前回に引き続き、日本の総合芸術である「茶ノ湯」文化から「うつわ」的な輪郭を見出し、そこからコミュニケーションの理想的な場や在り方を探っています。そこに「祈りとは何か?」という直接的な問いがあるわけではありませんが、もしかしたらその片鱗を見つけることが出来るかもしれません。


儀式としてではなく感情としての「祈り」は作られるものではなく、本質的には見出すものとして考えています。「うつわ」的な見方は、その助けになるかもしれません。
この『日本現代うつわ論2』は前回と同様、何か明確な結論や答えが出てくる訳ではありません。
しかし全体を通してお読みいただくと、ぼんやりと「うつわ」の輪郭が浮かび上がるはずと信じています。

本書が読者の皆様それぞれの多様な祈りと共に、独自の「うつわ」観に触れられるものになっていれば嬉しく思います。そして皆様にとって、今日が素晴らしい一日でありますように心から祈ります。どうか最後までお楽しみいただけましたら幸いです。

二〇二二年八月某日 美術作家 大槻香奈

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